90歳の現役弁護士が説く
人を裁かず心をほどく法

2018.11.01
いま、1冊の本が注目を集めています。『ほどよく距離を置きなさい』九州第1号の女性弁護士として、90歳になったいまもなお現役で活躍する湯川久子さんが、「人間のやさしさ」をテーマに書いた1冊です。人はどうすれば他人にやさしくなれるのか、どうすれば自分自身にやさしくなれるのかを書いた本書は、発売後ひと月で6万部を超えるベストセラーになっています。

年齢を重ねると、包容力がつき他人にやさしくなる人、かたくなになって他人に厳しくなる人がいます。その両者を分けるものは何なのでしょうか。湯川さんは、「自分の心」にこそ、その答えがあると言います。人生100年時代。他人も、自分も大切にしながら、一生輝き続ける方法をお聞きました。

湯川 久子(ゆかわ ひさこ)
1927年、熊本県生まれ。中央大学法学部卒。1954年に司法試験合格、ほどなく結婚し、1957年“九州第1号の女性弁護士”として福岡市に開業。2人の子を育てながら、60年を超える弁護士人生の中で、1万件以上の離婚や相続などの人間関係の問題を扱い、女性の生き方と幸せの行く末を見守り続けてきた。1958年より2000年まで福岡家庭裁判所調停委員。調停の席につく際は、あえて弁護士バッジをはずし、人生の先輩として家族問題の仲介に。弁護士になりたてのころにはじめた能を趣味とし、宝生流教授嘱託として理事も務めた。相談者の心をやさしく包み込みながらも、力強い口調で背中を押し、もつれた人生の糸をほどいてきた。90歳の今も現役。世代をまたいで訪ねてくる相談者も多い。

──
湯川さんは、現在90歳、九州第一号の女性弁護士として、61年もの間、弁護士を続けていらっしゃると聞きました。
湯川
おかげさまで。今は私より若い優秀な弁護士さんと一緒にお仕事をすることが多いのですが、学ぶことが多くて、刺激をいただいている毎日です。
──
お元気ですね!お肌もツヤツヤでお美しくて。
湯川
あら、ありがとうございます。
──
お声にも張りがあって、とても90歳に見えません。そのお元気の秘訣は何なのでしょうか?

 

湯川
ひとつは、知的好奇心かしらね。私の周囲の女性弁護士は、年齢を重ねても認知症などになっている人はいませんから、何かに興味を持って取り組んだり、試行錯誤する時間を持ったりすることが、元気の源なのかもしれません。
──
知的好奇心ですか。本を読んだり、何かを学んだり?
湯川
わざわざ勉強しなくても、テレビや映画を見るときに、ただボーっと見るのではなく、自分なりの解釈をしてみたり、その内容や感想を誰かにそれを伝えてみたり。
──
興味を持ってみるということですね。
湯川
そうですね。人と関わっていくことが、人を元気にするのではないかと思います。誰かと感動を共有したり、意見を交換したり、そんな時間はとても大切。私はね、気になったことはすぐ携帯に電話するんです。本の担当編集者にも散々電話したわね。それから、若い人たちと一緒にご飯を食べに行くのも好きですよ。いつも、新しい発見がありますから。

年をとると、できなくなること、
できるようになること

──
でも、年齢を重ねるとできないことも増えていくものなのでしょうか?
湯川
そうとは限りませんよ。たとえば、私は、数年前、自宅の階段で足を踏み外し、50年続けていた能が舞えなくなりました。とっても悔しかったけれど、舞えなくなったものは、仕方がありません。それで私は、できる範囲で挑戦できる他のことを探して、ずっとやってみたかった書道を始めたんです。
趣味も大切にしてきた湯川さんの「訟廷日誌」には、ご自身の仕舞の写真が。
──
その転換力がすごいですね。
湯川
今までの自分の人生の中でやらなかったことのうち、今の自分に挑戦できることって、まだたくさんあるって感じるんです。人によって将棋だったり、絵だったり。楽しまなくっちゃね。
──
本当に、そうですね。
湯川
「未来」って言葉、若い人の言葉のように思っているかもしれないけれど、生きている誰にでも「未来」があって、可能性にあふれているんですよね。さらには、長生きをした分、ご褒美の時間……ボーナスタイムっていうのがあると思うんです。
──
それってどんなボーナスなんですか?
湯川
これまで生きてきた中でもつれた人間関係の糸をほどくのは、重ねてきた年月と、成熟した心……つまり、老年期だからこそ、今までの苦労やつらかった思いが解決するということもあるんです。
──
長生きがどうやってもつれた糸をほどくのでしょうか?
湯川
長生きをするということは、今までできたことが少しずつできなくなるということ。必ず、誰かの手を借りることになるでしょう? そうすると、今までこだわってきたことにこだわらなくなる、というよりも、こだわれなくなるんです。
──
誰かに助けてもらわなくてはならなくなると?
湯川
そう。若い頃気張っていた「何が何でもこうでなくては」「自分の思ったようにしたい」という気持ちが保てなくなるんです。
──
エゴやプライドが取れて、調和していくという感じですね。
湯川
人の手を借りるようになると、今まで、必死に頑張って自分で生きてきたと思っている人も、実は多くの人たちによって支えられてきたのだということに少しずつ気づくようになります。そこには、感謝の心が生まれます。もつれていた人生の糸は、時間の経過と、この気づきと感謝の心なくしては解けないものです。

母との確執がほどけた「2つの文字」

──
湯川さんにも、そのような「もつれた糸」があったのでしょうか?
湯川
ええ。私は義理の母と確執のようなものがありました。私の実母は妹を出産してすぐに亡くなりました。私の実母は私が小学4年生の時に亡くなりました。生まれて間もない妹を含め、5人の子どもを残して。その後、実母の妹である叔母が2人の連れ子、つまり私の従姉妹を連れて、後妻として入ってきたんです。私も生来負けん気が強く、実家を出るまでの間、反発ばかりしていました。
──
何がきっかけでその確執がなくなったのですか?
湯川
大学進学の際に必要になった内申書に、親が子どもについて「どんなお子さんですか?」という質問があって。どうしてもその答えを知りたかったわたしは、封をされた封筒をゆっくりと剥がして、中を見てみたんです。
──
なんかドキドキしますね。
湯川
それはもう、心臓が飛び出すくらいドキドキしましたよ(笑)。
──
何と書いてあったんですか?
湯川
中には母の美しい字で「素直」とひとこと書かれていたんです。書く欄は数行あるのに、母の文字はその2文字でした。予想もしなかった言葉に、そのうれしさはとても表せないほどでした。
──
聞いているだけで感動しちゃいます。
湯川
あんなに反発していたわたしの良さを、母が認めてくれていたのだと思うとジーンとしました……。それからもつれた心の糸は少しずつ解れていきました。大人になって、弁護士になり、父が亡くなってからは少しですが仕送りもしました。
──
親孝行ができたわけですね。
湯川
多感な時期に一緒に暮らしていたときは見えなかったことが、離れて暮らすことによって見えてきたということもありますからね。
──
そして、お母様も年齢を重ねられて……。
湯川
母が85歳を過ぎたころ、「言いたいことがあったら書いておいてね」と伝えたんです。そうしたら、しばらくして手紙が届きました。そこには、当時の苦労や、それを今言ってもどうしようもないのだということ、仕送りへの感謝の言葉などが書かれていました。「素直」の文字とは程遠い、よれよれとした力ない文字でした。
──
それを読まれてどう感じられましたか?
湯川
自分も親になり、年齢を重ねたからこそわかることがたくさんありました。また、九州男児の中でも得に無骨で頑固といわれる「肥後もっこす」の夫の元に嫁ぎ、自分の甥や姪に当たるとはいえ5人の連れ子と2人の実子を育てながら、母もまた、悩みながらも生き抜いてきたのだと感じました。その手紙を読んだ後には、感謝の思いしかありませんでしたね。それもこれも、母が長生きしてくれたおかげです。
──
そう考えると、長生や老後は、人生のもつれを解くご褒美のようなものですね。
湯川
本当にそう。時に、とても頑固なお年寄りもいるけれど、年齢を重ねたら、重ねた分、今ある環境や、今関わっている人に対して、ありのままを受け止めて、素直になっていくのがよいと思います。
──
年齢を重ねるほど素直に生きる……素敵ですね。どうしたらそうなれるのでしょう?
湯川
褒められたときは「あらそう? うれしい。ありがとう」と言えること。人から「こうしてみたら?」と言われたら「教えてくれてありがとう」と、感謝して受け止めてみること。そうすると、心にゆとりができ、人生が、今までと違って愛と感謝にあふれたものに見えてきますよ。

セクハラ裁判の歴史はわずか30年

──
1万件以上の人間関係の悩みを見てこられていますが、人の悩みにも歴史的な変化を感じますか?
湯川
もちろん、時代によって悩みの内容に少し変化はあります。女性を取り巻く環境は戦後、大きく変わりました。たとえば、女性の社会進出が進んだことで、セクハラ問題も顕著になりましたよね。日本初のセクシュアルハラスメントの裁判が起きたのは、1989年のことです。福岡で行われた「福岡セクシャルハラスメント事件」です。
──
まだ、30年も経っていない。
湯川
そう。それまでの女性たち、つまり、戦中戦後の女性たちというのは、生き延びることに必死でした。たとえば、爆撃から逃げ惑っているとき「女性としてどう幸せに生きるか」「夫に浮気されて悲しい」なんて、考えていませんよね。
──
確かにそれどころではありませんね。
湯川
育児にしても、教育よりも「この子にどうお腹いっぱいご飯を食べさせるか」ということでせいいっぱいですから。
──
確かに、生きるか死ぬかという時代と、よりよく生きられる可能性を秘めた時代とでは悩みの質が根本的に違いそうです。
湯川
戦争から戻ってきた夫が多少暴君でも、それを当たり前だと捉えていた人が多かったのではないかしら。私の夫もシベリア抑留から帰国して、厳しさを手放せない九州男児でしたから、手をあげられたこともありますよ。
──
ええ! 湯川さんがですか?
湯川
そう。でも、それをDVだと感じる時代ではなかった。後になって「今の時代だったらDVよ!」なんて冗談を言ったことはあります(笑)。日本での最初のセクシュアルハラスメントの裁判に、私も原告代理人として名を連ねましたが、当時は私も「セクハラって何? そんな裁判、本当に可能なの?」って思っていたくらいです(笑)。でも、今は社会全体がセクハラにきちんと気を配っている。
──
時代とともに悩みも変わっていくんですね。
湯川
ええ。今ほど女性の社会進出が進んでいませんでしたから、離婚を気軽に考えられる時代ではありませんでしたしね。生活が豊かになり、女性の生き方にもいろいろな可能性が出てきて、人生の選択肢が増えてきた。
──
それ自体は良いことのような気がします。
湯川
ただ、その分、隣の芝生が青く見えることも増えたんじゃないかしら。悩みというのは「なんとかしたい」「変えられるかもしれない」という希望と可能性があるからこそ生まれるもの。もともと「そういうものだ」と捉えて納得しているとき、悩みはないんです。
──
それが当たり前だからですね。
湯川
誰もがみんな、同じように我慢しているときは、「自分だけがうまくいかない」という憤りは感じないものね。
──
「なんとかしたい」と思ってもがくとき、人は希望と可能性を胸に抱いているということなんですね。
湯川
悩みというのは「希望の種」なんだと思うんです。最初のセクハラ裁判を起こした原告の女性のように、勇気を出して一歩踏み出せば、多くの支援者が現れ、その常識が根底から変わってしまうこともある。わたしにとっても、このセクハラ裁判の経験は大きなものでした。弁護士としての経験を、女性の視点から世に発信し、女性の自立を願い、支援し続けたいと思うきっかけになったからです。

人の心は法では裁けない

──
日本の女性の生き方を根本的に変えてこられたわけですね。その中で、何か、女性たちに伝えたいことはありますか?
湯川
61年、弁護士として人間関係のもつれを見てきた私が、ひとつ確実に言えるのは、悩みがひとつもない人など誰一人いないということです。それは、よりよく生きたいという思いの表れでもあります。でも、だからこそ、そこでひとつ、悩みを解決するために気付いて欲しい大切なことがあるんです。
──
それはぜひ伺いたいです。
湯川
とても、シンプルなことなんですが、「なんとかできる」のは相手ではなく、自分の気持ちと行動だけだということです。
──
人を変えようとしても問題は解決しないということですか?
湯川
問題にぶつかって、なんとかしようともがくとき、自分と相手の距離感が崩れ、心の糸がもつれます。ここで「なんとかしよう」ともがけばもがくほど、その糸が、自分の糸なのか、相手の糸なのかわからなくなるでしょう?
──
どうにかしようとすればするほど、もつれてしまうのですね。
湯川
どんなに問題が大きいときも、相手との境界線を割って入るようなことをしてはいけないということなんです。特に、愛情やお金が絡むとき、人は相手の糸までどうにかして自分の思うままにしたいと思ってしまいますから、よりこじれやすくなります。そこで「自分はどうするのか」という視点に立てる人は、解決も早い。
──
人間関係の問題は早めに解決したほうがよいと思われますか?
湯川
離婚や遺産相続など、人間関係のトラブルの種はさまざまですが、やはり、問題解決には消費期限のようなものがあります。たとえば、離婚なら1年くらいでカタをつけて次の人生を歩む準備をするべき。
──
問題解決の消費期限……再起するなら早いほうがいいということですね。
湯川
そうです。恨みやお金にこだわっていつまでも引きずっていると、大切な命の時間を無駄にしてしまいます。それに、裁判で最高裁まで争ったとしても、大抵は、経験を積んだ弁護士が最初に伝えた結果以上のものにはならないことがほとんどです。
──
でも、心の整理をするのには時間がかかりそうですね。
湯川
まずは自分の人生を人のせいにしないこと。そして、自分だけのせいにして責めないこと。
──
俯瞰して見るということですか。
湯川
そうね。問題の渦中に自分を置き続けないことよね。起きたことは、起きたこと。そこに執着しないこと。問題解決の糸口は過去にはありません。「今どう動くか」が大切なんです。
──
どうやって気持ちを立て直せばいいのでしょうか?
湯川
問題の渦中にいるときは、自分が暗闇に包まれていて抜け出せないような錯覚に陥ります。だから、まずは、少し引いて見つめてみること。そして、顔をあげて、前を見つめてみて。姿勢を整えるだけで、ちょっと俯瞰して問題を眺めるだけで、もつれをほどく糸口は必ず見えてくるものです。
──
最後に、今現在、人生に悩みを抱えている人にメッセージをお願いします。
湯川
私のところへ相談にくる人たちは、人生最大の問題を抱えた人たちばかり。自分ではどうしようもなくなって、法律の手助けを必要として、やっとの思いでいらっしゃるのですが、民事での法律は、あくまでも、もつれた人間関係の糸の交通整理をし、問題を解決するための辞書のようなもの。誰かを裁き、罰を与える道具ではありません。
──
法律というと、どうしても「裁いてもらう」「結論を出してもらう」という印象があります。
湯川
いいえ、人の心は法では裁けません。もつれた人間関係の糸をほどくのは、やっぱり人、そして時間です。「悩みの種」は「希望の種」。人生のどん底にいるとき、人はその苦しみが一生続くかのように感じてしまいがちですが、悩みの中から顔を上げ、一歩踏み出したとき「希望の種」から芽が出てきます。時間をかけてゆっくりと、もつれた人生の糸をほぐしていってくださいね。
湯川さんの著書『ほどよく距離を置きなさい』。人はどうすれば他人に、そして自分自身にやさしくなれるかを説き、話題をよんでいる。
撮影: 日髙康智(air studio) / 文:MARU
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